どうしてゲームを作りたいのか

気ままな日記

ぜくちゃんです。

たった今ブログを開設したところで、とりあえず記事を投稿しようと思ったのですが、最初に投稿する記事というのは難しいものです。いきなり技術的な細かい話をするよりは、まずブログの方針を固めるためにも、どうしてゲーム制作するの?という根幹から触れていきたいと思います。

ゲームとはなにか

ゲームを作ると言いますが、そもそもゲームとはなんなのでしょうか?

Wikipediaには「ゲームとは、ルールのもとで勝敗を決める」ということが書かれています。

ルールのもとで勝敗を決めるものというと、テレビゲームやPCゲームといったデジタルなものもあれば、ボードゲームやカードゲームのようなアナログのものもあります。スポーツも身体能力を使った一種のゲームでしょう。

僕は「ルールのもとで」という部分がゲームの本質的な部分だと考えています。例えばカードゲームをする際に、相手を直接殴って気絶させてしまってもゲーム上の勝利にはなりません。カードゲームでは、盤面上でカードを出し合って、一定の攻撃を行うといった「カードゲームで定められた勝利条件」を満たすことで勝つことができます。

しかし、ボクシングでは相手を直接殴ることは勝利のために重要です。「とあるルール(=制約)のもとで、とある勝利条件を定めたもの」がゲームであると言い換えることができそうです。

ただし、RPGや脱出ゲームのような「対戦相手となる人間がいない」ものも存在します。それでもRPGなどには「クリア」という概念があるため、「クリア=プレイヤーの勝利」と言い換えることができます。そのため、RPGや脱出ゲームのような対人戦でないこともゲームの範疇だと考えます。

ただし、シャトルランのように「明確なクリアがない」ものも存在します。それでもシャトルランには「往復した回数が多いほど優れている」という優劣の明確な基準があり、過去の自分や、自身が定めた目標、もしくはライバルの結果と比較することができます。そのため、シャトルランのようなクリアが存在しないこともゲームの範疇だと考えます。この考えによると、学校のテストもゲームの一種だと僕は考えています。

ただし、福笑いのように「優劣の明確な基準がない」ものも存在します(滑稽な顔や上手な顔を作った者を勝者とする文化もあるみたいです)。このようなゲームにおいては、「とあるルールのもとで対象をプレイし、結果を見て楽しむ」までに留まっています。ゲームの定義をここまで拡張していいのかは難しいところですが、僕はこれもゲームの一種だと考えています。

それでは、例えば映画鑑賞もゲームなのでしょうか。「映画を観るというルールのもとで映画を鑑賞し、映画を楽しむ」というのは福笑いと同型のようにも見えますが、「プレイングの自由度に伴う結果」があるかないかで区別することができると考えます。福笑いは、プレイヤーが自由に顔のパーツを配置し、プレイングによって異なる結果が生まれます。一方で映画鑑賞は、観る姿勢やタイミングなどをどれだけ工夫しても流れてくる映像は同じです(倍速再生や巻き戻しを活用すれば、映像は変化します。最適な再生速度や巻き戻しを考えながら映画を再生する人がいるとしたら、もはやそれは映画鑑賞ゲームだと考えます。)。

こう考えると、「ルールのもとで勝敗を決める」というWikipediaの表現は、個人的には若干の言い換えがしたいです。「ルールのもとで、自由度のあるプレイングが可能であり、それに伴う結果が生まれること」がゲームだということにします。

なぜ人はゲームをするのか

この記事を見ているあなたは、ゲームが好きですか?
ゲームは楽しいことが多いですが、負けると悔しいし、楽しくないこともあります。それでも多くの人が「ゲームをしたい」と思っているからこそ、ゲームは作られるし、運用されています。

ゲームをしたい理由は人によって様々ですが、大きく以下の3つに分かれるという話を聞いたことがあります。

  1. 勝利を求める
  2. 独創的な楽しみ方を追求する
  3. 他者との交流を楽しむ

自分がプレイしていたソシャゲでも、全力で優勝を目指している人もいれば、独自の縛りプレイを楽しんでいる人もいましたし、人と繋がるためにワイワイやっている人もいました。スポーツにおいても、強豪の部活などは1)に該当し、緩い大学のサークルなどは3)に該当しそうですね。

しかし僕は、ゲームが望まれる理由は別の表現ができると考えています。

それは、「ゲームで体感できる非日常の追求」です。

相手を負かしたい、上回りたい、といった感情や、勝利して喜ぶ、負けそうになってヒヤヒヤするといった感情は、日常的に感じることはできません。そしてこのような感情は、中毒性があります。

FPSで生きるか死ぬかの戦いをしている時、僕は鼓動がとても早くなるし、呼吸も忘れるほど緊張します。あの感覚は、日常で味わうことはよっぽどできないでしょう。このような非日常を味わう感覚を、僕は別世界への没入感と表現しています。別世界への没入感は、刺激の少ない現実世界での生活にとって強い刺激になります。この感覚を、ゲームでは簡単に手に入れることができます。

ゲームと同様に、映画やアニメでも別世界への没入感は手に入ります。僕自身、映画もアニメもかなり好きで、アニメなんかは半日〜1日かけてぶっ通しで観ることで、気づいたら現実世界から離脱して作中の世界に浸っている感覚が最高だと思っています。

ゲームと映画鑑賞で大きく異なるのは、自分のアクションによってその世界が変化するかどうかです。ゲームは、自分が下手なプレイをすれば負けてしまい、モノによっては死んでしまうこともあります。映画は受動的な立場でストーリーを受け入れるしかありません。だからこそ、映画は完成された美しい作品として成立しています。これらに優劣はないですが、大きな違いはあると考えています。

僕は、この別世界への没入感が大好きです。だからこそ、映画を観るのもゲームをするのも好きですし、自分もゲーム制作を通して別世界を創造したいと感じています。

まとめ

この記事では、以下のトピックについて僕の考えを整理しました。

・ゲームとは何か

・人はなぜゲームをするのか

これらを通して、僕がこれから制作を行っていく上で大事にしていきたいこと、つまり「別世界への没入感」を明確にすることができました。

これからブログに慣れていったら、ゲーム制作の過程で身につけた技術や、挫折など苦労した過程そのものを載せていきたいと考えています。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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